教員、保育士、幼稚園教諭研修
11月は健康運動指導士の研修を長崎県で、「子ども」の運動で担当させてもらうことになりました。
その準備も含め、改めて運動に関する勉強をしていたら
健康運動指導士の資格を取得するのは、ちょっと難しかった。と、ふと思い出しました。
22年前にもなるんだな。この資格を取ろうと決意するのは
当時の私は、1歳と3歳のママでした
自分のための時間などほとんどなく、この数年間は特に、流行りの歌・ドラマ・映画・・・何もかも世間の記憶はぽっかり抜けています
結婚後、自分の資格取得のために、30万ものお金を使うなんてことはなかったので、
夜中の3時から朝6時までを勉強の時間をゴールデンタイムと決めて、勉強の時間を作ったのですが。
そんなことができたのは、我が家の子どもたちのおかげです
(幼少期の息子のお神輿のように、わっしょいわっしょい・・・・勢いで勉強していきます)
当時の私は23歳で専業主婦になり、
「もう一度フィットネスの仕事をしたい!」と、ぼんやり思っていました。
ある日、福岡市の市政だよりを見て、即行動に移します。
「来年できると書いてあるこの『福岡市の健康づくりセンター』で仕事したいんです」と、あと先考えず市役所に電話をしてしまうのです。
すると小さな奇跡が起こります。電話を取った受付の方の、目の前をたまたまその健康づくりセンターの所長が歩いてきたらしく、面接のチャンスをもらうものの。
が、そこで言われるのは現実の世界、
交代勤務ですが大丈夫?
夜ラストは23時くらいになるけど、どうですか?
子育て中と聞きました。子供が熱が出たらどうしますか?
・・・・・・私も独身時代はスポーツクラブにいたので、遅番は25時に帰ることもあったけど
今は到底、それは難しい・・・
子供の病気の時に預けられるような祖父母も近くにいない
そう思った私の真っ暗な私の表情に
「家から遠いし、お金にはならないけど、宗像ユリックスのパートはどうですか?」と
お声をかけていただき、宗形まで思い切って行くことにしたのでした。
バイト時間は2時間。残り時間は自分の勉強で、滞在させてもらう。
自ら望んで飛び込むものの、この頃の私は、くら〜い顔をしてたと思います。
自分に力があるのかわからない。先が見えない。時間はない。お金はない。知識もない。
保育園に預けるようになり、後ろめたさと金額の苦しさあったな・・・。
だから余計に
「ママは、この1年で仕事ができる人になれるよう頑張る」
と
子どもの寝顔を見ながら勉強するあの時の勢いは、大学受験以上だったと思う。
片道38km 通勤に時間はかかるので、その時間をまた暗記を口ずさんで勉強に使いました
子どもを預ける、後ろめたさを払拭するために
子どもとのコミュニケーションは気をつけなきゃと、お迎えの保育園の帰りには毎日、海へ。
当時住んでいた、築うん10年の古い社宅からチャリで、ももちの浜辺に連れて行って、子どもたちと走り回る。
「子どもとの時間を大切」に、な〜んて綺麗なことを言いながら、
走り回る子どもを見つつ、心の中では魔術でもかけたい気分だった
「疲れてくれ〜、ぐっすり寝てくれ〜、ママに時間を自由をください〜」と祈りながら 笑
いまも足りないとこだらけの私ですが、当時は特に
頑張ってる感満載の、イヤなギスギス女だったと思います
当時の保育園のママ友とそのパパさんが優しく、どんだけ助けてもらったか・・・
子どもの友達をフルネームでスラスラ言えるのは、保育園の時のお友達が一番多いかも
そんななかでの、資格取得を決意でした。そして受験勉強
この資格を取り、フリーランスとなって活動して、もうあれから22年も経ったんだと改めてビックリ
健康運動指導士は病院や行政機関で仕事をしてる人が多く、「子どもじゃ食っていけない」と言われたものでした。
「子ども」でと、今回、長崎からの講師依頼は、指導士で村田トオル先生のご活躍もあってのことかと・・・(先生ありがとうございます)
この指導士会の講習会、気合い入れねば。
そんなことを思いながら、
今朝は、同じ夜明け時刻に、運動発達について、自分なりにまとめ直していたら、
同じ勉強をしてるのに、なんか変わったな。あ、環境か
・・・・こんな朝の会話は無くなったな・・・と
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・ももちゃん、いつもより早くおきたのね (うう、マジか)
・味噌汁まだだよ、待っててね〜
・(げげ、やられた) りょう、またそうめんで遊んでる
・りょうくん。あのね、お洋服はウルトラマンじゃなかきゃイヤって、昨日もそれ着てたやん
・水不足で、保育園におしぼりを持っていかなきゃ、3本の2人分作らなきゃ。う、洗濯し損ねておしぼり足りない。
・ガソリン入ってない どこかで止まるか?
・耳鼻科 予約取っていなかった
・保育園のプリントが〜こんなところから出てきた 署名捺印いるやん
・パパのアイロン、勘弁して〜ノンアイロンシャツじゃ、あかんのか〜い
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記のような思考に、惑わせられることもない
今となっては、ちょっと懐かしくて、ちょっと寂しい
鬼のように充実してたあの時間は、その後も背水の陣で乗り越えることができました
運動指導関係で、もっとも苦労したのはこの2つ
たぶん私は、最初にこの2つに挑戦したので、あとは、あの時のことを思えばどうにかなると進んでいくことになります
1996年 健康運動指導士取得
(受講期間が長く、まず大学講座並みに、運動生理、心理学、バイオ、救命救急など全分野の内容が深い)
1997年 アメリカスポーツ医学学会ヘルストレーナー
(日本で受験するも英語でも講座がある、筆記も難関。
実技も「薬を服用してる患者への自転車負荷測定」、という内科などで運動処方を想定してのもの。
心拍数と血圧を手動で測定しながら、瞬時に計算判断して、負荷になる重りを分刻みでポンドで変え冷静に運動指導していく。
(運動生理学ゼミでもない、病院勤務経験もない主婦には、辛い実技試験でございました。)
イラストは看護に生かす検査マニュアルより
このほか
日本エアロビックダンス協会インストラクター
日本キッドビクス協会インストラクター(キッドビクス、hiphop他) のちに教育ディレクターへ
日本マタニティフィットネス(マタニティービスク、ママヨガ、産後ヨガ、産後トレーニング、更年期)
FTPピラティスインストラクター ヨガインストラクター
ボールエクササイズ 青竹ビクスインストラクター
日本レクリエーション協会インストラクター、レクリエーションコーディネーター
などなど・・・
こうして書くと、すごそうだけど、業界の先生方の勉強量は半端ないので、足元及びません。
また各現場から学ぶことが大きいので、資格をとっても更新しその現場で指導を続けないと、ペーパーに
ただ経営者として、先生方に担当業務をお願いする際に、自身が学んだ経験があるのは大きいです
九州大学経営学の大学院に夜3年間通い、確信しました。
時を経て、朝も夜も、勉強していても、誰も横からちょっかい出しません
2人も社会人となり、勉強できる環境は整いました。
そんな経験を経ててきて、
だからこそ、子育てや介護中であっても、スタッフのみんなが、また養成講座を受ける人が
勉強できる、私なりの応援を、少しでもしていきたいと思います
だってそこは人材の宝庫
そのおかげで会社は回っています
私もたくさんの人のおかげで仕事ができているので
(この写真は今は社会人 高校生の時の息子が、スタッフキッズを抱っこしてた時のです・・)