教育トピックス
目ん玉みえなくても顔は洗える
生活も全く困らない
みんな顔洗う時、目を閉じて洗うでしょ?
一緒ですよ。なんてことはないです
他の子と違うとしてら・・・
ただできるのに、時間が少しかかるだけ。
親や教員はそこを待ってくれ。どんな子も一緒です
日本幼少児健康教育学会に参加し、
基調講演に号泣しました
<私の歩んだ道 見えないから見えてきた >
元岡山県立盲学校教頭 竹内昌彦先生のお話
生まれた時は真っ白。どんな色を描くかは親と先生
障がいのあるなしかかわらず
いい親に恵まれるかどうかは、子にとっては運だ
小学校二年生で全く見えなくなった自分
親はどこでも連れて行ってくれた
障がいを人に隠さないで、動物園も博物館もどこでも行く
例え、触らないでと表示が書かれてるのも、
「この子は目が見えませんから少しならいいですか?」
と母親が堂々聞いてくれ、触ってものを覚えた
本は父さんがよんでくれた
また、見えない分カラダを丈夫にしてやると
海山も連れて行ってくれた
「怖がるななんでも経験しろ」と、、
でも覚えている 完全に見えなくなったとき、
自分のことでもちろん辛いが、
母親が泣いてたのが本当に辛かった
これ以上お母さんにつらいおもいをさせないと、
絶対学校行ってやると、心に誓うと。。
視覚障がい持ってる方からのお願い三つは
1.点字ブロックに自転車をおかないで
2.思ってることを声を出して欲しい
私にお手伝いできることありますか?
3.補助する時は、自分の右手の肘をもってもらい前を歩く
補助者が前を歩き、肘の高さが上下することで、
段差があることもわかる。
車線に近い方を歩くことになるので安全の確保にもつながる
なんとこの補助者のモデル役に、
先生と同じ二月生まれということで、選ばれたわたし、
モデルしたあとはおせんべいをいただきました
またこんなお話も、、
健康な子を授かっているのは当たり前と思ってない?か
先生のお子様は、脳性麻痺の長男さんだったそうです
動けない子と盲目の夫もち、
自分が仕事に行ってる間に、
嫁が自殺するのではと
何度も家に電話かけてたこともあるらしい
福祉じゃないからと、保育園もどこも預かってくれない
唯一、ok出したあゆみ保育園にも、市がダメといったそうだ
ところが、時の市長が障がい児保育をはじめると
宣言してくれ、第一の子どもとして入所できたと。
きっとこの声を市長に届けてくれた先生、周りの人がいるはず
だが、七歳で肺炎おこしてなくなったそうです
今の時代、平和な世の中にうまれて、
元気な体でいるにもかからわず、
簡単に自ら命をたっちゃいけない
このあとも、、号泣しました。
はなしつくせません
400人にひとりの割合でいる
目が見えないがひとり
耳きこえないがひとり
知的障害の子もいて、のこり380が健康な子
誰かが引き受けてくれたから 380が健康に暮らしてる
ならば
みなさんの幸せの1%を誰かのためにつかってくれ
障がい児相手だけにだけじゃない。
小さな子どもがいたら、私がするから早く帰れといえる
誰かのために役立てるように。。。
そのためには小さなころの経験がたいせつ
子どもには、
ありがとうと言われる経験をさせて欲しい
ちょっといいことした時に褒めてもらえる
優しい心をつくるのは保育園幼稚園の時
その優しい心の上に、勉学をひろげてほしい
親さえ、先生さえ元気で逞しかったら、子どもは育つ
私はこの話をきくために、岡山に来たんだなと思いました
もしPTAの講演講師探してらっしゃ方いらしたら
教員で、自分がなにをすべきか、迷ってる方いらしたら
ぜひ一度おはなしきかれてください
youtubeで、先生の映画をつくりたいとの紹介映像があるよとおしえてもらいました