
研究
子ども番組に出てくる人形劇のキャラクターといえば、明るくて、かわいくて、楽しい存在。
そう思っていた私にとって、久しぶりに見たセサミストリートのキャラクターたちは、とても考えさせられるものでした。
自閉症のある子。
親が依存症と向き合っている子。
親が刑務所にいる子。
住まいの不安を抱えている子。
HIVとともに生きている子。
子ども番組の中に、そんな事情を抱えるキャラクターが登場しているのです。
そこにあったのは、
「インクルージョン」と「多様性」という考え方でした。
現在私は、九州大学大学院 芸術工学府 博士後期課程で、インクルーシブデザインや、多様な人が関わり合う場づくりについて研究しています。
だからこそ、セサミストリートのキャラクターたちが見せてくれる「違いを隠さず、共にいる」という姿は、子どもの運動や表現の場をつくる私にとっても、大きな学びがありました。

セサミストリートは、ただ楽しいだけの子ども番組ではありません。
子どもたちの世界に実際に存在するさまざまな背景や困難を、子どもにもわかる形で伝えようとしている番組なのだと、改めて感じました。
私が特に心に残ったキャラクターを、いくつか紹介します。

2017年に登場したジュリアは、自閉症のある4歳の女の子です。
歌うことが大好きで、お気に入りのウサギのぬいぐるみを持っています。
ジュリアの人形を操作しているのは、自閉症の子を持つ女性だそうです。
「息子がまだセサミストリートを見る年齢の頃に、ジュリアがいたら良かったのに」
そのように語っているインタビューを見て、胸に残るものがありました。
ジュリアは、自閉症への理解が進むことを願い、「インクルージョン」と「多様性」という考え方のもとに登場したキャラクターです。
ジュリアは、みんなと同じように遊びます。
ただ、反応の仕方や感じ方が少し違うことがあります。
でも、エルモたちはその違いを「困ったこと」としてではなく、ジュリアの特徴として受け止めています。
相手の特性を理解した上で、一緒に遊ぶ。
その姿は、子どもたちにとって、とても自然なインクルージョンの学びになるのだと思いました。
パターン遊びも好きな、明るい女の子です。
カーリーは、親が依存症という大人の問題を抱えているため、里親家庭で暮らすキャラクターです。
子ども自身に責任はありません。
でも、家庭の事情によって不安や寂しさを感じる子どもがいます。
そのことを、子ども番組の中で丁寧に扱っていることに驚きました。
映像を見ながら、思わずうるっとしました。
「あなたはひとりではない」
「話してもいい」
「支えてくれる大人がいる」
そんなメッセージを、子どもに届く形で伝えようとしているのだと感じました。
アレックスは、親が刑務所にいるという背景を持つキャラクターです。
これは子どもにとって、とても話しにくいテーマです。
恥ずかしい。
言ってはいけない気がする。
自分が悪いのではないかと思ってしまう。
そうした子どもの気持ちを、セサミストリートは見えないものにしません。
子ども自身のせいではないこと。
安心して気持ちを話してよいこと。
支えてくれる人がいること。
そのことを伝えるために、このキャラクターがいるのだと感じました。
リリーは、住まいや生活の不安を抱える子どもとして登場します。
貧困や住まいの問題は、子ども自身が選んだものではありません。
けれど、子どもの日常や心に大きく影響します。
食べること。
眠る場所があること。
安心して過ごせること。
当たり前のように思えることが、すべての子どもに保障されているわけではない。
その現実を、子ども番組の中で伝えていることに、深く考えさせられました。
カミは、HIVとともに生きるキャラクターです。
病気のことを隠すのではなく、明るく、思いやりのある存在として描かれています。
カミは、エイズ撲滅を願う赤いリボンを身につけています。
HIVとともに生きる人に対する偏見やステレオタイプを変えたいという思いが込められているのだと思います。
病気があるからかわいそう、ではない。
病気があるから特別扱いする、でもない。
一人の子どもとして、そこにいる。
その描き方に、セサミストリートの強いメッセージを感じました。
これらの映像は、正月休みの間に教材研究をしている時に見つけたものでした。
4月からの新年度に向けて、親子ファニットの年間カリキュラムを見直すため、さまざまな基礎資料を調べていた中で、これらの映像がとても心に残りました。
また、以前娘とロンドンに行った時、何気なく見ていた幼児向けテレビ番組に、ごく自然にワイプで手話通訳が入っていたことも印象に残っています。
日本と海外では、社会の仕組みも文化も違います。
それでも、「いろいろな子どもたちがいる」ということを、子ども番組の中で自然に伝えている姿勢には、学ぶことが多いと感じました。
私は長年、子どもの運動指導に関わってきました。
その中で、本当に多くの子どもたちと出会ってきました。
すぐに輪に入れる子。
少し時間が必要な子。
音や環境に敏感な子。
言葉での説明が入りにくい子。
身体を動かすことに不安がある子。
家庭の事情を抱えている子。
世の中には、いろいろな子どもがいます。
そして子どもたちは、その多様な社会の中で育っています。
だからこそ、大人がまず「いろいろな背景の子がいる」ということを理解しておくことは、とても大切だと思います。
MIKI・ファニットにも、個性ある子どもたちが来ています。
知的な発達に特性のある子。
聞こえにくさのある子。
グレーゾーンかもしれないと保護者の方が不安を抱えている子。
集団に入るのに時間がかかる子。
私たちは、医療や福祉の専門機関ではありません。
できることには限りがあります。
それでも、運動や表現の場をつくる者として、できることがあります。
まず、子どもを「できる・できない」だけで見ないこと。
その子の背景や感じ方を、少し想像すること。
無理に合わせさせるのではなく、入れる入口を探すこと。
周りの子どもたちにも、違いを自然に受け止める経験をつくること。
それは、運動指導でありながら、教育でもあると思っています。
インクルーシブデザインは、特別な誰かのためだけにあるものではなく、多様な人が共にいる場を、どのようにつくるのかを考える視点でもあります。
子どもの運動の場でも同じです。
全員が同じようにできることを目指すだけではなく、
それぞれの子どもが、自分なりに参加できる入口を持てること。
違いがあることを前提に、場のつくり方や声かけを考えること。
その子が「ここにいていい」と感じられること。
それが、私たちの現場で大切にしたいインクルージョンだと思っています。
私たちは、ダンスや体育のスキルアップだけを目指しているわけではありません。
もちろん、身体が動くようになること、できることが増えることは大切です。
でもそれ以上に、子どもたちが自分を知り、人と関わり、自分らしく育っていく場でありたい。
その意味で、MIKI・ファニットは「教育運動スクール」として根ざしていきたいと考えています。
子どもたちが、いろいろな人と出会い、違いを知り、支え合いながら育つ場所。
そして、子どもだけでなく、保護者、先生、地域の方、シニア世代、さまざまな人が関わり合う場所。
私はそれを、世代や立場を越えてつながる「グランハブ」のような場にしていきたいと思っています。
セサミストリートのキャラクターたちは、子ども番組の中で、社会の多様さをまっすぐに見せてくれました。
私たちの小さなスクールの現場でも、できることから、インクルージョンと多様性を考え続けていきたいと思います。
※この記事は以前公開した内容をもとに、現在の指導経験と研究関心をふまえて加筆・修正しました。