つれづれ
私は保健師さんに救われたものです
NHKのテレビみながら、、うるっと
かつて、こんな元気キャラな私でも、おかしかった時があります
事故きっかけで23で結婚し、その後出産
ヤンママ年齢ではないのですが
学生時代の友人の中では最初にママ
住んでた社宅で一番若いママでした
年子のふたりの「鳴き声がうるさい」
近所に言われたのを気にしすぎて、
夜中は魔の時間で、子どもの口ふさいだり
4階のベランダで「おとしたら死ぬかな」と抱っこしてたってました
社宅の先輩ママにはなしてみると
「わかいからね~子どもの接し方なんか
さみしくさせてるんじゃないの~」
母乳の出がわるく救いを求める気持ちで行った
おっぱい育児の勉強では悩む 当時の私の耳には
「おっぱいで育てないとバカになる」ときこえてしまい
いまなら流せるものも その時は・・・
ダメな母親なんだと自己嫌悪でたまらず
周りのお母さんの 友達のママ友が
素晴らしいお母さんにみえて
こんな明るいと思われてる私でも
育児サークルにいくのが嫌だった時があります
東京で見た電車の中での
おかあさんのことを2日前にかき
たくさんのみなさまのコメントいただきました
わたしはすぐに声をかけていくタイプです
ただときに、そのかけ方は人によってその時によって
かえなきゃなあ・・と
公民館活動もそうなのですが
(地域のボランティアから私はスタートしてるので)
仮に重度のとき・・
そのかたの最初の一歩を遮断しまうことないようにしたいなあ・・ともおもっています
わたしは起業の道を選びました
民間の会社なので、できることはちいさいかもしれません
でも、いろんなかたがいろんな視点で
なにかしていけたらいいなあと思っています
早良保健所の大原保健師さんの家庭訪問のおかげで
私はそとに出ることができました
感謝の気持ちは・・そう御礼はカラダで
次の方に返していけたら・・
ミキファニにはママ先生がおおいです
みんな悩んだ経験があるからこそ、
なにか役に立てたらとおもっているとおもいます
自分たちができることをよく考え、活動していこうとおもいます
いろんな手を変え、いろんな方にとどくように
運動教室以外に、いろいろしてるのね・・といわれることありますが
目的はひとつ、20年間ぶれてません
本やアプリの作成も、公共イベントも、ラジオのお仕事も、講演
県の委員をさせていただいたり、そのほかの事も・・ ひとつのこと
ただ私は人間的にできていません
いっしょに活動する仲間、みなさんの応援のおかげでできています
精進していこうとおもいます