
海外活動
北極圏に近い場所の露天風呂は、
運がよければオーロラを見ながら入れるらしい。
なんとも贅沢。
……ただし、眉毛もまつ毛も凍る世界です。
外に出る時点で、もう軽い修行。
私は寒さに負けて髪を洗わなかったのですが、
髪を洗ってから入ると、顔から上は全部凍るらしい。

しまった。
そこまでやればよかった。
しかも、その“凍り方の美しさ”を競うコンテストまであるという。
北の人たち、楽しみ方が本気です。
そんな北国らしい体験も面白かったのですが、
その一方で、静かに考えさせられる場所にも出会いました。
北極圏に近い自然の中の動物園です。(ユーコン野生動物保護区)
そこには、ふさふさの毛皮を持つ動物たちがいました。
でも、その姿を見ながら思ったのは、
「かわいい」だけではありませんでした。

「このフサフサぶりが乱獲に…」 現場で手にしてしみじみ思った
かつて、その毛皮が価値あるものとして乱獲され、
人間の都合で数を減らしてしまった歴史がある。
そして今は、保護しながら命をつないでいる。
目の前の動物たちは、
ただ展示されているのではなく、
人が何をしてきて、そこから何を学んだのかを静かに伝えているようでした。
北の自然の中で感じたのは、
厳しさや美しさだけではなく、
人がどう関わってきたのか、ということだったのです。
そんな体験をしていたからか、
今回の旅でいちばん心に残ったのは、
空だけではなく、地上にあった“別の光”でした。
北緯60度。マイナス20度。夜中1時30分。
眠れずに待っていたのは——オーロラでした。
けれど、この旅で一番心に残ったのは、
空だけではなく、「地上の人の歴史」でした。
バンクーバーの海沿い、カナダプレイスを歩いていると、
ずらっと並ぶプレートに、さまざまな物語が刻まれていました。

そして、正直、驚きました。
ここは、いわばバンクーバーでも有数の観光地。
それなのに——
成功だけでなく、失敗や差別の歴史まで、隠さずそのまま書いてある。
その潔さに、はっとしました。
CAMELS IN THE CARIBOO の時代
👉 1860年代(ゴールドラッシュ期)
金鉱へ物資を運ぶために、ラクダを導入するという新しい試みが行われた。
乾燥地では活躍していたラクダは、重い荷物を運べるという期待があったが、
岩場の多い地形では足を痛め、馬を驚かせるなどトラブルが続出。
結局この試みは1863年に放棄され、
ラクダたちは野に放たれたという。
革新的に見えるアイデアでも、
環境に合わなければうまくいかない。
それでも、その挑戦の記録は残り続けている

👉 1900年代前半(特に1920〜30年代頃)
ジムさんは、船での移動が遅くて仕事にならない。
その不便さを解決するために小さな水上飛行機を使い始めたことが、
1950年代に航空会社につながり、今では街の名物になっているという。
大きな夢からではなく、目の前の不便さを何とかしたいという工夫から始まった話だった。
今では当たり前の風景も、100年ほど前の工夫から始まっている




どれも、決して「かっこいい話」ではない。
でも、それを消さずに残している。
👉 何百年も続く文化(近代以前〜現在まで)
この街では、先住民の文化が「過去のもの」としてではなく、
今も生きているものとして大切にされていた。
トーテムポールには、動物や祖先の物語、家族の歴史が刻まれていて、
それぞれに意味がある。
ただの装飾ではなく、
「自分たちはどこから来たのか」を語る、大切な記録だった。
街の中にも自然に溶け込むように存在していて、
観光の一部ではなく、日常の中にある文化として残されていることが印象的だった。

近代の発展や移民の歴史だけでなく、
その前から続いている文化も、同じように語られている。
失われたものもあるけれど、
それをなかったことにせず、残し続けている。
この街は、
「新しいもの」と「もともとあったもの」を切り離さずに、
一緒に存在させているように感じた。
だからこそ、今があるのだと思った。
そして私は思った。
失敗や過ちを、ただ並べているのではない。
そこには、先住民の歴史があり、移民の歴史があり、
ゴールドラッシュの熱狂があり、環境との向き合い方もあった。
いろんなことを経て、今がある。
そして、その全部を
なかったことにせずに残している。
そこから学び、活かしてきた積み重ねがあるからこそ、
こんなにも旅行者の多い場所で、堂々と語れるのだと感じた。
オーロラは、たしかに美しかった。
あの暗闇の中で、静かに空に広がる光は、
一生に一度は見たいと思うほどの景色だった。
でも——
今回の旅でいちばん心に残ったのは、
あの空の光ではなく、
この街が持っている「地上の光」だった。
失敗も、差別も、衝突も、
決して消さずに残していること。
そしてそれを、
「なかったこと」にするのではなく、
次にどう活かすかという形で積み重ねていること。
それは、きれいな成功の物語よりも、
ずっと強く、静かに光っていた。
人の歴史は、
きれいなものだけではできていない。
それでも、
そこから目をそらさずに向き合い、
次につなげていくことができる。
その積み重ねが、
今のこの街をつくっているのだと感じた。
北極圏に近い、あの厳しい寒さの中で見た光と、
この街の中で感じた光。
どちらも忘れられないけれど、
私にとっての「一番の光」は、
人が積み重ねてきた、その歴史のほうだった。
ドキドキのひとり旅、次はどこに学びに行こうかな