教育トピックス
一気に読みました。。
私は、小学校二年の頃、
おじいちゃんが認知症になり
家で看取りました。
…
常次の名前を「ジョージ」と私は読んでました。
175㎝越える身長は当時の人としては大きく.
かっこよくてちょっと自慢だった。
(私はここでもばあちゃん似)
「薬指がなかろうが・・・、腹が減ったときに食うた。
お前の指も、悪さばしたら、食うてしまうぞ」
「目が青いのは、ロシアの血がながれとる・・」なんて言う。
おもしろい話しをたくさんしてくれるが、
どこからが ホラ話かよくわからない
(父、私、、とこの血は受け継いでいるようだ 笑)
でもその頃は、ヤバイ、このじいちゃんにはかなわない。
とんでもないじいちゃんだと、子どもココロに思ってた。
えっらい怖くて、おもろいじいちゃんは
ばあちゃんが亡くなったあと、
すぐ認知症になった。
散歩でいなくなってしまったり、
寝てて、はっと夜中見上げるとトイレと間違えて、
私の布団の上で、間一髪だったり、、、、
本当にいろいろあった。
介護の大変さも見ながら、
自分に近くなってくるような気もしてた
どんどん子どものようになっていった。
最期に話したのは私、、
「もうすぐお正月だよ。。」
「・・・ん。今日の昼ごはん何やろか?」
「お昼ご飯はうどんよ。もうすぐできるけん、持ってくるね」
「うどんか・・よかね・・・」
三分もたたぬうち母が、持っていくと、
そのまま眠るようにすーっと
私が結婚して、ひいばあちゃんが、いてくれたことは、
きっと、子ども達にも伝えてもらえるものがあったとおもう。
この本を読みながら、いろんなこと、思い出しました。
ココロがほんわか、じんわりする本。
息子も「うわ・・あったまる・・」と
うちの子たちには よくジョージの話をしていました
だから仏様におまいるりするのに、
「こんにちわ、ジョージ。あのね・・ももかね・・」
よくお話を仏壇でしていました
不謹慎かもしれませんが
私がもし死んで仏壇にいたら、
子ども達にはなしかけてもらえる身近な存在の方がいいなと思ったので